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嬉しくも役者が揃った。こごみは半分「天ぷら」にし塩で頂こう、あと半分は「お浸し」にしては如何だろうと料理に注文付けた。調子に乗ってたらえらい目に会うぞ!せめて「ゴミ出し」や「外出時の戸締り」など真面目にやらんと・・・。
知り合いから、こごみを頂いた。このあたりでは、こごみはチョッと珍しい。随分以前に向かいのご主人に”田舎から送ってきた”と、こごみを頂いたことがある。失礼だがと尋ねたら「奥只見」と答えが返ってきて、押し戴いたのを思い出した。
ホンの少しだけだが、近所で山うどが採れる。引っこ抜いてきて流し台においておけば、黙っていても家内が「酢味噌和え」にして、酒の肴に出してくれる 。
近所でワラビが採れる。パッパッと採ってきて流し台においておけば、黙って いても家内が湯掻いてあく抜きをして調理してくれる。
祖父母に『贅沢したら罰が当たる』と言われ続けていた。最近やっと必ずしも正しくないと気付いた。でも生まれたのが”贅沢は敵だ””欲しがりません勝つまでは”の時代だったから、教育としてはそれで良かったんだろう。自宅近 くは自然が一杯、贅沢と言えば贅沢である。
普通生のたけのこは、少し黄色味を帯びてるものですがその白さにビックリした。生のまま包丁で薄く切って、口にい入れてみたが全くくせがない。長岡京あたりの竹林は「農家の奥座敷」と言われるくらい手入れがゆき届いてる、と聞いたがまさに 本当だと思いました。山うどやこごみと共に一部天ぷらにしてもらいました。
本場では年中藪の手入れを怠らず、5月には強い根を作る為に、親竹の先を切り、成長を止めるそうです。7月から8月にかけて草取りと施肥、そして秋にはこの地独得の栽培法である盛土作業をはじめます。藪一面にわらを敷きつめ、その上に土を盛ります。こうすることによって、土の層が年々厚くなり、やわらかさも一段と増してくるそうです。いただいた「たけのこ」の竹の皮を少 し剥いでみるとなんと真っ白。
贅沢言うたらキリがないが、家族ご近所友人に恵まれ楽しく暮らさせてもらっている。衣食住のうち「食」へのこだわりが強いのに自分でも驚く。要するに食いしんぼうなのである。長岡京の「錦水亭」など夢のまた夢だが、縁あって ご近所から長岡京産のたけのこのお裾分けを毎年いただいている。
チンタラチンタラ、長い間ガッタンゴットン揺らしていただけなのに落ちた途端に障害物リレーみたいな状況になった。私は何処が勝ってもいいが当事者はそれが重要なんだろう。
神輿を揺らし続けるのは陣痛を表し、クライマックスは先程の神輿の突き落しで出産を表しているという。どうやら生まれたらしい。
日が暮れてやっと賑やかになってきた。結局6時間余り待ったことになる。気の長い祭でもある。途中でもう待てない諦めて・・・と何度か思った。私にしては初志貫徹は珍し い。シンプルなお祭だった。
先ほど大事なものは職人さんの手で外されて、神社の方にトラックで疎開した。もう揺するなり落とすなり担ぎまわるなり如何でもお好きなように・・・お好きにどうぞという態勢で神輿が四ッつ壇上に並んでいる。
宵宮落しの祭は、大勢いでみこしを揺さくったり突き落としたり、挙句の果てに神輿担ぎ障害物競走みたいなこともするらしい。そこで後顧の憂いなきように外せる小物類は外して、この軽トラで疎開させると親切なかたに教えていただいた。
この長い長い竹でみこしを突き落とすと言うンだが、祭の進行の検討つかない私に言われても・・・。みこしを激しく揺さくるのでよく壊れるらしい。縄や工具で修理しながら祭を続けるというんだが・・・。
壇上に四社の神輿が並んでいる。大きく揺らしたり終いには突き落としたり? するようで壊れたり外れたりする「瓔珞」のようなものは昼間のうちにはずして仕舞われた。写真は神輿4台中一台のテッペンに飾られていた鳳凰らしい。よほど貴重なのだろう、真っ先に外して仕舞われた。
宵宮落しに先立って、祝詞が上げられた。宵宮落しを見るのは初めてだが、滅法荒っぽい祭と聞く。無事に祭が行なえるように、けがなどないように・・・丁寧に祈祷された。
”でかしたよくやった”無理もない緊張の連続だもの・・・。おかあちゃんオッパイ頂戴というような年頃だと思 われるのに、周りがヤイヤイ言うて・・・。偉かったゆっくり寝なさい。そしてあした、大きな大きなおもちゃを買ってもらいなさい。ご苦労さまでした。
この役は、準主役といっても過言でないと思う。どの町内も力士のような巨漢を充ている。色とりどりの造花を束ねた大指し物を持ち上げてまわるのだが皆大汗をかいている。
もちろん主役だけでは、祭が出来ない。たくさんの人が関わって力をあわせているのである。ここの立派な祭を見ていつも羨ましいと思う。祭を見て育ち祭を通じて大人からいろんなことを教わっているからだ。休憩時間に記念写真を撮っていた。こうして育っていくのだろう。
稚児たちには、もの凄いプレッシャーに違いない。「オシッコ~」と父親にいうて父親が横抱きにして行列から離れて事なきを得たシ-ンは見たが稚児が泣き出してるところは、皆目見なかった。
それぞれの町を代表する、七人の稚児が祭の主役だという。親もジージもたいへんだ。ずっと行動を共にする。さすがに選ばれるだけあってみんなしっかりしている。さぞかし眠いしおなかすくし大人に囲まれ気疲れするだろう。よほど言い聞かされているのだろう見事だった。
ここ坂本は比叡山との関係で、独特な景色と雰囲気を持っていて私を引き付ける。ここ数年桜の時期に訪れている。時恰も春真っ盛り。参道のソメイヨシノなどは、散り始めてたがいろんな桜があるので大いに楽しませてくれた。
地元坂本の自治会から選ばれた稚児役の子どもたち7人が、烏帽子と甲冑(かっちゅう)を身に着け、色とりどりの造花を束ねた大指し物を引きながら、ゆ っくり時間を掛けて練り歩いた。
今度こそ如意輪寺へ、この一年そればっかり考えてきた。もう直ぐ手の届くようなところまでやって来た。多くの歴史舞台に登場する吉野。西行法師はじめ多くの有名人もここを訪れている。あと何回吉野へこれるだろう 。吉野へ来たら思い出すのは、吉野山の麓 吉野上市から奈良市内の高校にかよっていた同級生、故井上晃一。若くして病気で亡くなったが惜しいことした。あの寺で線香でも・・・。
今日は一人だし、何しろ時間に追われている。50人ものツア客を待たせるわけに行かない。已む無く素通り、次は時間的余裕もって家内と来よう。
遠くから五郎兵衛茶屋を望む。茶屋は切り立った崖にしがみついている。
写真の一番下に写っているのは、「ささやきの小径」。近鉄吉野駅に通じていたと思う。風流を理解する佳人がゆっくりと歩を進めている。吉野山はガツガツ登らないで、しっかり噛み締めて登らないといけないようだ。
現在の日本人が桜と言えば、普通ソメイヨシノを指す。それくらいソメイヨシノが普及しているのだが、吉野の桜は「しろやまざくら」と呼ばれる古来からある山桜である。
たった2時間ほどだが、無事にふたりとも遅れずバスに戻れるよう蔵王堂のほうを向いて手を合わせ五郎兵衛茶屋の方向へ急いだ。
今回私は「如意輪寺」まで行こうと決めていた。家内は体力も考え余裕を持って行動したいから東南院(写真)で別行動すると決めていた。ここでしばしの別れ。
吉野山観光駐車場に昼過ぎに到着。一旦解散して三時間自由に過すのが本ツアのルール。先ず予約しておいた「花見弁当」を受け取り七曲が見下ろせるベンチで戴いた。
昨年4月10日に 久しぶりに花の吉野を訪ねた。家内と二人バスツアーに参加した。以前はそれが当たり前だと車を運転して出掛けていた。体力も落ちたし渋滞も馬鹿らしくなった。そしてバスのよさも実感しことしもバスで出掛けた。
手作りの弁当下げて行って、近場で水入らずのお花・・・。家族揃って健康で仲良く暮らす。これ以上の幸せは無いだろう。廻り見回してもみんな楽しそうだ。
孫が三人いるが一家8人揃ってお花見は、初めてのような気がする。息子一家は最初神奈川に 住んでいたが、三年余りドイツに駐在していた。そして10ヶ月前に滋賀県に転勤してきた。やっと近所に住み普通の交流ができるようになったのです。
でもコブシに木蓮を継いだのか、木蓮にコブシを継いだのか私には皆目わかりません。真相究明しても何にもなりません。毎年「にやり」と楽しみ続けることにします。
それから何日かたって、花の数が増え木いっぱい咲いた。そして私もその異様さに気付いた。あくまで推定だが接木だと思う。花の数では95%コブシです。木蓮は写真正面下に集中しているだけです。
ある日家内に”よく見てごらんなさい”と言われたが、言われても判らない。 ここよと、右下指差され変だなと感じた。
何事も無かったような顔して澄ましてる、この木の素性をばらします。自宅近くの木ですから、毎年見ています。コブシの木だとばかり思ってました 。そりゃ毎年コブシの花をいっぱいつけつい最近まで咲いていたんですから・・・。
高速チャーター船、行きは風強く海のような波が出て大変だった。帰路は凪で 本来の湖にもどり悠々と還ってきた。メンバーにも船長と談笑する余裕。
平地の少ないこの島の暮らしを支えているのは、エビ、ゴリ、アユ、フナ、モロコなどの琵琶湖の幸だ。港には新しく立派な漁船がずらり並んでいてかなり景気が良さそうだった。
「沖島」は国内で唯一、湖上に浮かぶ人の住む島だそうだ。人口は約500人、どうやらここが島の中心らしい。シンボル的な雰囲気のある桜の木が一本。
振り向けば漁協の先に、遠く湖西の山々が望める。
朝から湖が荒れたのがまずかっただけ、着いたころには回復。鳥たちもご機嫌で空をくーるくる。
あんな怖い思いして寒風吹きすさぶこの島にやってきてブルーシートで震えている。気象庁が今年の桜は早いなんていうからこうなったのだ。幹事も攻められない、マいろいろあるってことだ。しかし多数決は寒いものだな・・・。
25年ほど前にインドネシアの観光地「プロウスリブ」へ行った。当時デビ夫人が別荘を持っていたとかいう島の近くの無人島だった。東シナ海に浮かぶ小島でジャカルタから小型船で4時間ほど掛かった。無茶苦茶ゆれて怖かった。以後トラウマになって小型船が苦手。湖といえども風強く荒れていた。高速艇ということでお構い無しに吹っ飛ばす。波が船底をドンドン叩く。震えていた。
沖島というのは、びわ湖唯一の有人島 。産業は漁業が中心です。滋賀・京都をくまなく歩こうというグループの例会に参加しました。沖島の自治会が持っている通船が新調されたというニュースを読んで楽しみにしていきましたが、長命寺港に待っていたのは高速のチャーター船。長命寺の桜は咲いてたのでここでお花見やろうと提案したが受け入れられず、まだツボミ固しの沖島へ向かうことのなった。
落慶式を盛り上げたのは、ほかならぬ稚児たちだと思う。偉かった偉かった・・・。ご苦労さま、ジージーバーバーにいうておもちゃでも買ってもらいなさい。
本日の主役の住職です。”檀家のご協力のお陰で本事業がうまくいった。昨今の不景気で感じるのは、スタートが一年遅れたら出来なかったのではなかろうかとの思いである。”この言葉は意味深である。出席者はみんな思った。仏のご加護だと・・・。
たかが稚児行列されど稚児行列です。稚児だけでなく母親・おばあさんまで大騒ぎです。行儀ががいいのには感心しました。文句なしの立派な稚児行列でした。
お練というのか遠いところに集合して、一山の高僧を先頭に稚児やその家族が長い長い行列で寺に戻ってきました。稚児だけで50人というような大掛かりなものでした。
一山の僧が参列されました。宗門にとっても個々のお寺さんにとっても本堂を建て変えるというのは、まさに大事業です。建て変えてくれた住職は英雄みたいなものです。言わば当然ですが落慶式では一門からの表彰が続きました。
本堂は180年経ったとかで、狭く痛みもあったと思います。住職は挨拶の中で建物の面積が2.5倍になったとおっしゃってました。私の小中学校の先輩で70歳で建替えられたと満足げでした。
父母が眠りやがて私もそこに入る予定の法融寺の墓地、そこの本堂が建替えられました。数億かかったといううわさですが、立派な本堂が落慶しました。滅多にないことなので落慶式に参加しました。
不思議に思ったので、雉が飛び出してきた方角自宅裏の畑へ廻ってみた。そこにはこんな虎猫がいた。ふつう猫は景色なんか見ないし、見知らぬ人が来たら逃げ出すものと思うが、じっとこの姿勢のままだった。誤解を恐れず推定すれば、さっきの雉は猫に驚いて飛び出したということか?
近所に時々珍しい鳥がやってくるといううわさの調整池がある。ジッと目を凝らしてみたが、珍しいものは見当たらない。帰り掛けたら突然羽音がして大きな鳥が飛び出してきた。ほとんど毎日自宅裏の畑に、何処からか赤い顔して回遊してくる雄雉だった。
この山裾の住宅地に住んで35年近くになる。移住してきたころ快適に感じたひな壇形式の宅地も歳をとるに従って苦になることも出てくる。しかしおいそれと転宅するわけにも行かず、ご近所がいいかたばかりなので・・・と納得して住み続けている。山が近いので自然が一杯である。隣の公園で珍しい小鳥を 見つけた。ジョウビタキかな??